いつもありがとうのいつもとは

二推し、もとい元推しを好きになってから3年が経つ。某2.5次元舞台で知って特撮なんかにも出ていたので過去作品を漁りまくって、どっぷりとハマるのにそう時間はかからなかった。

舞台俳優によくある接触イベも小劇場の面会(という名の握手会)もあり、地方勢なんて言い訳に過ぎない!宇宙規模で考えたら国内全て近所!なノリでこの3年間元推しがでる舞台とイベントには必ず行っていた。

 

はじめのほうは、元推しを見れるだけで幸せだと思っていたけど、毎月通うようになってくると欲が出てきた。毎回手紙も出してたしいつも来てるって覚えてくれたかなと思ったり、SNSで見かける同担の認知自慢に嫉妬した。

認知厨の始まりである。わたしも元推しに存在を認知されたい、と思うようになってしまった。

 

 

公演後のハイタッチでわたしには「ありがとうございます」だったのに後ろの子には「いつもありがとうね」だったときは嫉妬に塗れた。

元推しがソロイベで「名前はなかなか覚えられないけどみなさんの顔はよく見て覚えてます」なんて言うから本気にしていたこともあった。

認知をもらいたいばかりにリプ用アカウントなんか作っちゃってアイコンを自撮りにしてた今思うと闇に葬りたくなるようなこともしてた。

 

だけど、認知はもらえない。

 

そんなある日、ソロイベントが開かれた。当たり前のように参加して、いつものようにツーショを撮った。

そのときに元推しから「いつもありがとうねー」と言われた。ものすごく嬉しくて舞い上がった。

 

その瞬間だけ。

 

イベントが終わって無駄に冷静になった。ああ、この言葉はなんとなくみたことあるファンだなって思ったら言う言葉なんだ、って。

そんな言葉のためにわたしは一生懸命になっていたのか、とすべてが虚しくなった。と同時に目が覚めた。

 

元推しの舞台とイベントには皆勤賞じゃなきゃ嫌だと駄々をこねくり回してたこともあったけど、先日都合がつかなくてイベントに参加しなくても全然平気だった。元推しに合わなくてもわたしは死なないんだって気づいた。当たり前のことなんだけどね。必死こいて休みを取って安くない金を出して行っていたけどそんなに無理しなくてもいいんだってことがわかった。

元推しは元々身の振り方が超絶かまってちゃんだったのもあって言ってることとやってることがめちゃくちゃな人で、社会人としては最低だったし、そもそも好きなのは彼の演技だし彼のお芝居が観れればもういいかなって、今回の出来事を通して少し元推しへの盲信的な熱量を少し落ち着かせることができた。

 

 

 

支離滅裂だけれども、要するに「いつもありがとう」の『いつも』の程度を把握しているのはこっちであって、向こうは『いつも』がどの程度なのかなんて全然把握していなかったってお話。

まあ、これは元推しの場合であって、世の中にはものすごい記憶力でファン一人一人の『いつも』を覚えてくれる素敵な『推し』がいることも風の噂程度には聞いたことがあるので、舞台俳優みんながみんな適当に「いつもありがとう」って言っている訳では無いと思う。

うちはうち、よそはよそ。

 

 

ちなみに紆余曲折あって一推しからはバリバリ認知されてる。

認知されてることに対してものすごく優越感あるから、結局のところ認知厨なのは変わってない。なにひとつ進歩してない。それに認知もらったらもらったでなんやかんや面倒なこともあるなと思ってし、またそれは別の機会で書けたらいいな。