2017年

年の瀬ですね。
6月に元推しがカノバレしたこと書いてから更新してなかったけど、元気に最推しくん一筋にオタクやってます。
この6ヶ月の出来事と言ったら最推しくんに死亡したと思われてた事ですかね。最推しくんのツイートすべてにふぁぼ飛ばしてたのだけど、最推しくんがDDのクソリプに反応しまくってたのみてジェラシー燃やしながら押してダメなら引いてみよう精神でふぁぼやめてみてしばらくしてから現場に行ったら最推しくんに「いいねしてくれないから死んだのかと思ってた」って言われた。ウケる。
最高のカモ女ちゃんになるべく今はちゃんとふぁぼしてる。

 

あと、元推しがカノバレしてからのファンへのアフターケアがクソオブクソだったので担降りしたから某キャスト館にすべてのグッズを売りに行ったら「元推しさんの買い取りはもうしてないんです」ってお店のお兄さんにすごく申し訳なさそうな顔で言われたことかな。持って帰るのもオークションやフリマアプリ等で買い手探すのも面倒だったから処分してもらったんだけど、未だにツーショ写真は家に残ってるので処分に困ってる。
幸い元推しはその後役者業を休止してくれたので現在のわたしの心の安寧は保たれつつある。永遠に復業しないでくれ。


来年は平穏な年であるよう祈るばかりなのだけれど、年始早々最推しくんが人気ゲームの原作舞台に出演するから変なファンがついたり炎上しないかドキドキしてる。でも2.5次元舞台に主演するのが初めてになるので違った意味でもドキドキしてる。お花出そう。

 

 

舞台俳優とプライベート

先日元推しがカノバレした。

 

公になるわりとずっと前からふたりがお付き合いしていることを知っていたし、同担で知っている人はそこそこいたと思う。それでも誰も何も言わず、問わず、ニコニコ過ごし、それぞれがそれぞれで彼を応援していた。
お付き合いしていたお相手が劇場に来ていたことやお相手が公共の電波を使って匂わせをしていたことが同担の間で噂となったこともあった。

だけどわたしはそれまでにもプレゼントの横流しやクレクレ、SNSでの失言、裏垢などの炎上案件が何度もあったからそれの延長みたいなものだと思ってそんなに気にとめていなかった。

 


推しのブログでカノバレに対する記事をみた瞬間、それまであったわずかばかりの彼への情が掻き消えてしまった。

ものすごくファンに対して不誠実な表現だと感じた。

幻想を膨らませてこれまで彼の不祥事や炎上を見ないように目を瞑っていたけれど実はそんな価値のある人間じゃないのでは?とはっとした。

それまでも無意識に見ないようにしていたのかもしれないけど、今回の件がきっかけとなって幻想が壊れてしまったのだ。

 

推しに出会って数年経つ。その数年間に、楽しかったことや感動したこと、嬉しかったことはたくさんあった。だけど、なんだかそれらすべてが意味の無いことのように感じられて仕方がなくて、わたしはこんな人に20代という貴重な時間を数年も費やしてしまったのかと後悔してる。

 

 

 

人間なのだから好きな人がいてお付き合いするのは構わないし、プライベートで多少羽目を外してしまうことは必ずしも悪いことだとは思わない。だけど、わたしたちファンは貴方の外見や演技、役に対する姿勢と言った役者としての貴方を好きになってお金を払っているのだ。決して貴方の爛れたプライベートにお金を払っているわけではない。だからプライベートを極限まで隠し通してほしい。

なんならすべて芸能人はネットリテラシーを芸能事務所に所属する時に必修しなければならないという法律ができないかなと思うほど。

 

お前が勝手に好きになって勝手に幻想を抱いて勝手に貢いでいたんだろって言われたらそれまでなんだけど、苛立ちとか悲しみとか後悔とか虚しさとかどうしようもない負の感情が渦巻いていたのでちょっと吐き出さねばと思い書き連ねてみた。乱文失礼しました。

 

 

 

とりあえず、元推しの無数のブロマイドをお焚き上げしてその光景をSNSにアップしていいねされたいのでお焚き上げってどうしたらできるのかわかる方もしくはやったことあるって方がいましたら教えてください。

 

 

 

 

 

プレゼントの行方

どんなものをあげたとかあげたプレゼントを使ってもらえたっていう話はよく見かけるけど横流しされたっていうのはあまり見たことがない。
横流し、それは人気商売である舞台役者が手っ取り早く炎上できる炎上ネタのひとつだと思う。

個人的にプレゼントは自己満なのであげたものを使おうが捨てようが誰かにあげようが受け取った側の自由だと思っている。だけどそれは内々にやっている場合の話。
プレゼントは値段やセンスに差はあるけれども多少なりとも相手を想って用意されていると思う。だからプレゼントを他の誰かに渡したということを口外した時点でファンの気持ちを踏みにじったのと同じだと思っている。大袈裟かもしれないけれど人気商売だし、そういう思いがないと遅かれ早かれ炎上するんだろうなと思う。


元推しは横流しという言葉を知らない人だった。
プレゼントに入浴剤やパックといった使い捨てる系の美容グッズがたくさん贈られていたみたいで、ある日のイベントで「頂いた入浴剤などはたくさんあるので母に送っています」って悪びれる様子もなく言ってて馬鹿だなって思った。
そういう事実があったとしても口外すべきではない。なぜなら、ファンは貴方のお母様に使ってもらうためにプレゼントをあげた訳ではないからだ。あの人に使ってもらえるかしら、喜んでくれるだろうかといろんなお店を巡って、貴方のことを想いながら選んだプレゼントたちなのだろうから。
まあ、入浴剤なんて一生分貰いましたとか言う俳優をわりとよく見かけるくらいだからみんなあげてるんだろうし没個性すぎて究極のネタぎれにならない限りわたしは絶対にあげないけどね。

話が脱線したけど、元推しはそんな感じで自分が発言したことがファンを少なからず傷つけてしまう言葉だとまったく理解していない人だった。実際、わたしがあげたあるプレゼントについてtwitterで話題にしてくれたことがあって後日接触イベでそのことについて聞いてみたら「母にあげたんだ〜」って普通に言われて貴方がそのプレゼントに対してどう思ったか聞きたかったのに……と悲しくなった。元推しから離れたのはこういうところが嫌だったからなのも原因の一つだと思う。


今までプレゼントに関する様々なエントリーを読んだけどどれも好きな人への愛情や想いに溢れていた。だけどどんなに愛情や想いが篭っていても自分の好みじゃなかったり、あまりにもたくさんありすぎていらなかったりすることだってきっとあるだろう。聖人じゃないのだから捨てたり、誰か自分以外の人にあげたり、売ったりすることだってあるかもしれない。それを咎めることはしないけれど、どうか、どうかその行為がわたしたちファンの目や耳に届かないように情報の管理をしてほしい。ましてや自分からファンに言ってしまうような真似を絶対にして欲しくない。

幸い、推しは今のところそういう素振りを見せないし、むしろあげたプレゼントの感想を次に会った時に報告してくるような律儀さを持ってくれている。だけどこれは人気も知名度もないからなのかもしれない。
いつかたくさんファンができて元推しのようにファンの気持ちなんて考えないような役者になってしまったらどうしようと、いつ来るかもわからない未来に怯えている。

 

 

 

 

DDを見た感想

先週推しの舞台を観に行ったときに前回のエントリーに書いた例のDDを実際に劇場で見て、そのときに湧き出た感情を新鮮なうちに文章にしなければと思いはてブロアプリを起動してみた。

オタクの嫉妬でしかないからひとつもおもしろいことはないので悪しからず。

 

 

小劇場だったので終演後に面会があった。DDの本命も出演していたからDDもいるんじゃないかと思ってはいたけれど面会で混雑するロビー、なんと目の前にDDはいた。
推し来ないかなあ程度に突っ立っていたのだけれど目の前にいるガールズの口から「推しくん来ないね〜」と言う言葉が出た瞬間お前か!!と心の声が零れかけた。


というかDDって1人だと思ってたんだけど4人くらいいた。マジか。


DDたちは目の前に推しのリアコがいるとは露知らず推しのことを話していた。舞台中の推しくんがどうだったとか推しくんと面会できるかなとか……ものすごく気まずかった。
もしこの状況で推しが来たとする、わたしのところに来たとしてもDDのところに行ったとしても気まずい。推しと女の顔をして話しているところを赤の他人だけど一方的にSNSで知っているDDにみられたくない、だけど推しがDDたちと話しているのをみるのも死ぬほど嫌。自意識過剰をこじらせた結果生まれた謎の気まずさを1人で感じているうちにDDたちは本命のところに行ってしまった。
その少し後時間差で推しがわたしのところに来てうふふあははと面会を楽しんだ。DDがいなかったら謎の気まずさを感じずにもっと楽しめたんだろうとは思うけど。

 

同日、DDの1人が推しにキラキラなリプライを送ってて頭痛がした。推しくん推せると書いてあったが推すのであればキラキラなリプライを送るよりも推し名義でチケットを取り、プレゼントのひとつでも贈ったほうが推しにとっては有益だわ小娘がと思ってしまった。やっぱり同担拒否なんだなあ、自分。

 

 

 

リア子ちゃんと推しとDD

最近推しにDDがつきはじめた。

DDを否定している訳ではない。むしろ、たくさんの愛を振りまくことの出来る懐の深さと財力には感服している。だけどそれは自分の関係のないところでの話だ。

 

推しにDDがつくということはリア子ちゃんなわたしにとって大変由々しき事態である。
ファンが増えて応援してくれる人が一人でも多いということは推しの人気アップのためには大変喜ばしいことなのに、本命が他にいるにも関わらずわたしの推しにちょっかいを出すなんて許さない!推しに対しても本命に対しても不義理だ!とわたしの中の迷惑オタが牙を剥いている。
推し曰くわたしがファン1号で出会って2年。2年間ずっと1人で応援してきた。地方住みだけど行ける公演は全部行ったし、推しにとって初めてのお花も贈った。それなのについ最近偶然本命と共演しててリプ返してくれるからって理由だけでちょっかい出してるんじゃないわよ。とリア子ちゃんが吠えている。
まあ、わたしも元推しと共演してたのが初めましてだったからあまり強く言えないけども。


今までは推し1人に対してファン(=応援して舞台に観に来る人)が1人だったがその構図が崩れつつあることに対してリア子ちゃんであるわたしは非常に危機感を抱いているのだ。

エマージェンシー。

某2.5次元の舞台のヒロインの歌に理想の男性について
たくさんお金を持ってて
もちろんイケメン男子で
私だけにやさしくて
お姫さまにしてくれる人
という歌詞がある。
「私だけにやさしくて」
正にわたしはこれを求めているのだと思う。
幾人いる観客の中、終演後に関係者以外でわたし『だけ』が認知されてて話ができる存在。わたしだけが推しを1番に好きで応援していて推しもそれを知っていて、ちやほや話をしてくれて握手をしてお見送りをしてくれる。そのポジションが唯一無二でなくなってしまう、『わたしだけ』でなくなってしまうことに負の感情が溢れているのだ。

自分でもとんだ迷惑なオタクだと思うけれどこの負の感情は抑えようと思って簡単に抑えられるものではない。辛うじて推しの視線があるときはにこにこと笑顔を保っているけれど、家ではSNS上での推しへのメッセージを読み、勝手に怒りを募らせたりして……不毛すぎる。
今まではDDじゃなければ同担拒否じゃないと思うな〜とか呑気なことを考えていたけどこのファンが増える問題に遭遇して漸く自分はDDじゃなくても同担には拒否的になってしまうのだろうと自覚し始めた。


推しのファンはわたしだけでいい、だけどもっとたくさんステージに立って欲しい、有名な劇場でお芝居をしている推しを見たい、主演を務める推しが見たい、そのためにもたくさんファンがいないとお仕事はもらえない……と堂々巡りをしている。
わたしの同担拒否が解決しない限りこの堂々巡りは終わらないのだろう。まあ推しにとっちゃそんなこと知ったこっちゃないことなんだろうけど。

 

知名度も人気も全くと言っていいほどにない推しにこれからもっとついでで応援してくれる人が増えてくるだろう。その度にわたしは嫉妬の炎を燃やすことになるのだろう。
あー心安らかに追っかけをしたい。

 

 

ファッションについて

axesについての話題でTwitterが賑わうことが時々あるけれど、元推しは過去にユニクロはインナーまでだよね、と言ったことがある。下着レベルならユニクロはいいけどトップス、ボトムス、アウターにユニクロを着るのはナンセンスだと元推しは訴えたのだ。

元推しはアパレル系の小さいお店を経営していたから他にも黒と茶色は合わせない方がいい、トータルして柄物は1点にするなどの自論を持っていた。

元推しに熱狂していた頃は元推しの自論をとても意識したし、元推しに見窄らしい格好や元推しのポリシーに反するような格好で行くのは躊躇われたので出費はある程度かさんだけれど毎回新しい服を買って遠征に行っていた。元々ファッションにあまり興味がない方だったので無理をしていたけれど、少しの楽しみでもあったのでわたしなりの努力は続いた。

 

 

 

 

だけど過去の記事にも書いたけど、向こうから見られてない、認識されてないと自覚してから自分の着たいもの、好きなもの、似合うと思うものを着ようと思った。

昔ってユニクロと言ったら機能性と生産性しか求めてないような超絶ダサい服しかなかったけど最近はそこそこシンプルかつおしゃれなものも増えてきたと思うし、わりと元推しの舞台を観に行くときにユニクロを着てるときもある。

結局は自分の体型とか容姿とかに相応しい服を着るのが1番なんだなあってしみじみと思う。あと、客観的にみてバランスがとれてるかどうかね。よく言われるけどaxesにすっぴんとか、本当にどうしてそうなった感溢れるよね。

 

どんな服でも似合っていればいい的なこと言ったけど、ツーショイベとかでデニムにスウェットもしくはTシャツみたいなほぼワンマイルウェアで来てる人を見て、ちょっと……って思うことはある。折角好きな人と触れ合えるのになんで敢えてその格好で来たんだろうかって疑問に思う。心のTPOにあってないのは少し残念。

 

最推しの舞台を観に行くときは大体最推しとの面会があるので他の俳優さんのファンがみて最推しくんのファンはダサいと思われないように気をつけているけど気づいたら女子アナみたいな服装になっている。おしゃれって難しい。

 

 

 

 

 

なんでこんな話を書いたかというと、ユニクロの広告にガッキーが起用されたから。

ガッキーめっちゃ好きなんです。超かわいい。ガッキーと結婚したいし、できないのなら顔がガッキーにならないかなって思っている。

 

リア子ちゃんと推しは結婚できないのか

わたしは所謂リアコ(リアルに恋してるの略。応援対象として推すのではなく、恋愛対象として推すスタイル)だ。
気持ち悪いと言われて引かれるのを百も承知で言うが、わたしは推しと付き合いたいと思っているし、結婚したいとも思っている。
だけれども、この思いは恋心なのかそれともファンとしての感情なのか、将又男慣れしていない喪女が偶然出会った構ってくれる役者というレアケースにただときめいているだけなのか、正直わからない。

 

 

世の中にリア子ちゃんは少なからずいると思う。大体は同担と呼ばれる同じ対象を好きな他者がいる。だけれどわたしの場合、多数のファンの中の1人ではなく、極少数のファンの中の1人であり、なおかつその少数のわりとトップに君臨しているというのが問題なのである。(というか何度もいうが恐らくナンバーワンでオンリーワン)
他の若手俳優に置き換えると行き過ぎと受け取れるような過剰なファンサを受けた時に、ファン全体の中でわたしだけにしていることなのか、それともファンみんなにしていることなのかを比較し判断するための他者がいないのだ。ほかのファンがいないから。
だから過剰なファンサを受けたあとに無駄に擬似的な恋愛感情を抱いてしまい、イコール恋愛対象として好きと感じてしまう。それと同時に、恋愛対象として脈アリなのではと大層な勘違いを繰り広げてしまうのだ。とんだ勘違い野郎だ。

 

冷静に自分の気持ちを整理すればちゃんと自己分析も出来るのだけれど、推しの舞台を観た後、推しと面会した後は冷静さも判断力も失ってしまって、ただただふわふわとした夢をみているような気持ちしか残らなくなってしまう。だからわたしは永遠にリア子ちゃんなんだと思う。

 

今、仕事に追われてひたすら毎日をこなしていくだけの錆びれた人生の唯一の生きる気力が推しなので、わたしをこの生活から助けてくれる本当の王子様と運命的な出会いを果たさない限り、この偽物の夢の世界で永遠に生きていくんだろうなって思っている。


リア子ちゃんはいつの日かリア子BBAになってしまってアラサー、アラフォーとただ歳をとっていって、その間に推しは結婚し家庭を築き、なんにも知らないでリア子おばあちゃんになってしまい寂しい人生を送るのかしらと、他人事のように考えてしまう。
夢見る少女ではいられない現実が重い。